イノセントガール


 「やっほー、ジャンルーク、元気してる?」
バハウルグに大きな明るい声が響きわたる。ジャンルークは頭を抱えた。声の主はロレッタ・フォーチュン、議長の末娘だ。移住してきたばかりの時議長さんには世話になったから邪険にもできずにいたが、こう毎日毎日仕事の邪魔をされてはかなわない。今日こそはがつんと言ってやろうと、ジャンルークはロレッタの方を向いた。
「ロレッタ、君のウルグは・・・」
「うん、ガアチだよ」
ロレッタは無邪気にほほえむ。金色のくせ毛、澄んだエメラルドグリーンの瞳、ちょっとぽっちゃりとした頬、お人形さんのような娘だ。
「でも私、仕事もとろいから、必死に仕事しても気がつくと納品口が閉まっちゃって」
ジャンルークはロレッタの笑顔を見ているうちに、戦意喪失している自分に気がついた。子どものまま大人になってしまったような娘相手に本気で怒っても仕方がないような気がしたのだ。
(まったく甘やかされたお嬢様にも困ったもんだ。)
ジャンルークはいつものように、ロレッタを適当にあしらうことにした。

 その晩のことだ。ジャンルークはバスの浜の波打ち際でひとり座り込んで、暗い水平線の彼方を眺めていた。
「父さん、母さん・・・」
ジャンルークは膝に顔を埋めた。見知らぬ国で新しい人生を切り開こうと勇んでやってきたこのプルト共和国だったが、わずか6才のジャンルークにとって、常に心安らげる場所というわけではなかった。ただ意地でもそれを人前に出したくなかったし、自分がホームシックにかかっているなんて誰にも知られたくなかった。
 そんなわけで、バスの浜に人の気配がしたとき、ジャンルークは慌てて立ち上がった。誰だろうとふと振り向くと、そこに立っていたのはロレッタだった。
「はーい、ジャンルーク」
ロレッタは相変わらずにこにこしながら立っている。ジャンルークはふーっと気が抜けるのを感じた。ロレッタがいるといつもそうだ。少なくともこの娘の前では緊張することはない。
「訓練かい?」
「まっさかぁ。私ね、全然武術の素質がないみたい。占いでもそう言われちゃった。ただ星を見に来ただけなの」
ロレッタはジャンルークの顔をのぞき込んだ。
「ここから見る星が一番きれいなんだよ」
夜の闇の中で、ロレッタの瞳だけがきらきらと輝いている。ジャンルークははっとした。なんて美しいのだろう。突然、目の前のロレッタのくるんとしたくせ毛に触れたくなってしまった。なのにロレッタときたら呑気に
「ジャンルークは偉いなあ、昼間は仕事して、夜は訓練。私なんて仕事も遅いし、武術の素質もなくて、何の取り柄もないよねえ」
なんて笑っている。ジャンルークは思わずこう言っていた。
「君はそのままが一番いいと思うよ」
ロレッタの顔がぱーっと明るくなった。
「嬉しいこと言ってくれるのね。私、ジャンルークに嫌われているかななんて思っていたのに」
「そう思うんだったらどうして毎日来るわけ?」
「だって、私ジャンルークのことが好きなんだもん」
ロレッタはあっけらかんと言ってのけた。ジャンルークは目が点になった。
「・・・からかわないでくれよ」
「からかってなんかいないよ。最初にパパがジャンルークを連れてきたときから好きだった」
ロレッタは純真な瞳でジャンルークを見つめてくる。ジャンルークは胸の鼓動が高鳴るのを感じた。その時気がついてしまったのだ。騒々しくて子どもっぽいけど、心優しいこの娘にいつの間にか惹かれていたことを。
 ただ、それを素直に認めるのはなんとなく悔しかったので、ついつい背伸びした発言をしてしまった。
「じゃあ試しにつきあってみようか。なんなら明日デートしてみる?」
「うん、嬉しい、嬉しいよ」
ロレッタは本当に嬉しそうに胸に手を当てた。
「じゃ、明日、大通り南で会おうね!」

 ジャンルークが大通り南に行ったとき、ロレッタはすでに待ちわびたようにそわそわしながら行ったり来たりしていた。
「やあ、待った?」
「ううん、ちっとも」
ロレッタは首を振る。本当はだいぶ待っただろうに。
 最初のデート場所はやはり定番のタラの港だった。ジャンルークはつい半年前にここへやってきたばかりなのだ。ついつい言葉が少なくなる。ロレッタもなぜか黙り込んだ。二人の間に流れる沈黙。しかしそれは気まずいものではなかった。どちらかというと心地よい静寂。
 やがてロレッタがジャンルークに身を寄せてきた。
「手を握って・・・」
ジャンルークは一瞬ためらったが、そっとロレッタの柔らかい指に自分の指を絡めた。ロレッタの耳朶が赤く染まる。ジャンルークはようやく言った。
「ロレッタ、好きだ」

 それから数日後のことだった。ジャンルークは独身の若者たちから飲みに誘われた。
「どうだい、プルトには慣れたかい?」
「ええ」
ジャンルークは慣れない酒に真っ赤になりながら答える。
「そういえば、お前、ロレッタとつき合っているんだって?」
「・・・ええ、まあ」
「一風変わった娘だろう?」
「天真爛漫というかというか・・・ちょっと年より幼い感じもしますけど、お嬢さんだから仕方ないんじゃないですか?」
すると、その場にいた皆が顔を見合わせる。その中の一人、バラクーダ・ローンマンが首を傾げた。バラクーダはロレッタの父方のいとこと聞いている。
「あれ、ロレッタはあのことを君に言っていないの?」
「あのことって・・・?」
ジャンルークは、ロレッタのことで自分の知らないことがあると気がつき、いやな気分になった。酔いが急に醒めてくる。バラクーダがすまなそうに言った。
「ごめんよ、てっきり知っているのかと思っていた。ロレッタは伯父さん・・・議長さんの養子なんだよ。もっとも僕たちの遠縁らしいけど」
「・・・知らなかった」
ジャンルークは唇をかんだ。理由は分からないがロレッタが隠していることを、こんな形で知ってしまってショックを受けたのである。
 それ以降、ジャンルークは半ばやけになってイムティ割を飲み続けた。その翌朝、生まれて初めての二日酔いを味わった。

 ベッドの上でうんうんうなっているとき、ロレッタがお見舞いにやってきた。
「大丈夫?」
ロレッタはいつもと同じあどけない笑顔でジャンルークに接してくる。
「飲み過ぎちゃったんだって?」
「う・・・ん」
ベッドの上でうめくジャンルーク。ロレッタはいそいそと水をくんできた。
「こういうときはね、水分をたくさん取った方がいいんだよ」
「ありがとう・・・」
ジャンルークはむさぼるように水を飲んだ。ようやく一息ついて、ロレッタをぼんやりと見つめる。確かに議長夫妻には似ていない。どんないきさつか知らないが、孤児となって議長夫妻のところに養子となったらしい。しかし、ロレッタにはそんな過去を連想させるようなかげりはみじんもなかった。むしろ人一倍愛されて育ったように見える。ロレッタが言いたくないのに、そのことを追求するのは賢いことではないように思われた。きっといつか伝えてくれる、ジャンルークはそう信じて目を閉じた。いずれにしても、二日酔いはそうそう経験したいものではないということだけは分かった。
 ロレッタの指がジャンルークの額をそっとなでた。
「もう無茶しちゃダメだよ」
誰のために無茶したんだよとジャンルークは思ったが、ロレッタの指は心地よく、ジャンルークを優しい眠りに誘っていった。

 やがて、ジャンルークとロレッタはキスを交わす仲になった。それでもロレッタは過去のことを語ろうとしなかった。いつも明るい笑顔で接してくる。
 ジャンルークのなかで徐々に不安が広がっていった。ロレッタはそんな重大なことをなぜうち明けてくれないのだろう。自分を信頼していないのだろうか。そう思い始めると、無邪気なロレッタの笑顔も素直に見られなくなってくる。
 ある日突然ジャンルークはロレッタに言った。
「君といてもつまらないよ」
「どうして・・・?」
ロレッタは大きな瞳を見開いた。
「私、なにか悪いことでもした?」
「そうじゃなくて・・・君は笑っているばかりで、悩み事一つ抱えていないように見える。いらいらするんだ。それともボクにはそういう話はできないってこと?」
「ジャン・・・」
ロレッタはこぶしを噛んだ。相当傷ついたのは明らかだった。
「私・・・悩み事なんてないよ、今、一番幸せなの。それっていけないこと?」
ロレッタは堪えられなくなったらしく顔をくちゃくちゃにすると、その場を立ち去ってしまった。
「ロレッタ!」
ジャンルークは後を追ったが、行方を人混みの中で見失ってしまった。
 「今、一番幸せなの」というロレッタの言葉がジャンルークの胸を突き刺した。孤児だから悩み事くらいあるだろうというジャンルークの勝手な思いこみだったのだろうか。

 もしかしたら、家に戻っているかもしれないと思い、ジャンルークは重い足取りで評議会館邸に向かった。ところが、ロレッタは戻っていない。白いイムが無心にぽよんぽよんと跳ねているだけである。仕方なく帰ろうとしたジャンルークを呼び止める者がいた。ミッション議長その人でだった。
「やあ、ジャンルーク、ロレッタは戻ってないよ」
「ええ・・・」
「なんだか浮かない顔をしてどうしたんだい?」
お宅の娘さんと喧嘩したとは言えなかった。ええ、まあとお茶を濁すジャンルークの背を議長はぽんとたたいた。
「喧嘩の一つや二つ、今のうちにしておいた方がいいぞ」
ジャンルークは飛び上がった。議長はあははと笑うと、大股で立ち去ってしまった。

 それからジャンルークは必死にロレッタを探し回った。各ウルグ、ショルグ、ギタの学舎、アイシャ湖、フーコー温泉、そしてバスの浜。
 結局タラの港のザカーの塔の陰で座り込んでぐすんぐすん泣いているロレッタを発見した。
「ロレッタ、ごめんよ!」
ジャンルークは心の底から謝った。ロレッタは、涙でどろどろになった顔をジャンルークに向けた。
「ジャンのバカ!どーせ私のこと脳天気なお嬢さんだと思っているんでしょ!」
「違うよ、てっきり、君が悩み事があっても無理して笑っているんだと思ったから・・・」
「・・・別に無理して笑っているわけじゃないよ・・・笑うのが楽しいの。私が笑うことでみんなが明るくなってくれれば、それで嬉しいの。でも、それがうっとおしいって思われたら、私、どうして良いか分からない・・・」
「みんながどう思うか、じゃなくて自分がどうしたいかを考えればいいじゃないか。笑いたければ笑う、悲しければ泣く、腹が立てば怒る。それじゃだめなの?」
「じゃ、今は泣きたい気分」
ロレッタはそう言うなり、わんわん泣き出した。
「なんかね、ジャンにああ言われてから、突然辛かったこと思い出しちゃった。・・・本当のパパが死んで、ママがとっても寂しそうだったの。だから私、ママを元気づけようと笑っていた。その後すぐにママも死んじゃって・・・周りからかわいそうなロレッタって同情される度、平気なふりして笑っていた。その後プルトに来て・・・今のパパやママに出会って、とても幸せだったから、あのときのことはずっと忘れてた。今頃になって、思い出すなんて変だよね」
(プルトに来て・・・?じゃ、ロレッタは移住者なのか?)
ジャンルークは愕然とした。移住してホームシックにかかっていた自分が滑稽に思えてきた。
「ロレッタ、泣きたければもっと泣けばいいよ。ボクがそばにいるから」
ジャンルークはロレッタの正面にひざまづき、ロレッタの手を取った。ロレッタが、ジャンルークの胸に顔を押しつけてくる。
「ジャン・・・今私はこんなに幸せなのに、どうして涙が出るんだろう。今頃、あんな昔のこと思い出して・・・」
「・・・きっと泣き足りなかったからだよ」
ジャンルークはロレッタを抱きしめた。
「小さかった君は無理矢理涙を閉じこめちゃったんだ。みんなを心配させないために。でも、本当はもっと泣きたかったんだと思う。だからこうして今泣いているんだよ」
「そうなのかなあ・・・」
「きっとそうだよ」
それを聞いた瞬間ロレッタはほっとしたような表情となって、ジャンルークにしっかとしがみついてきた。ジャンルークにとって、そのぬくもりが愛おしかった。

 その翌々日、二人はアイシャ湖に出かけようと歩いていた。突然の土砂降りが二人を襲う。プルトでこんなに大雨が降るなんて珍しい。普段なら雨宿りしているうちに止むのだが、ちっとも止みそうにない。
「とりあえず、ボクの家に行こうか」
ジャンルークが言う。ロレッタはこくんとうなずいた。二人は手を取りあって、滝のような大雨の中、バハ地区にあるジャンルークの家に向かった。
 全身から滴をしたたらせながら、玄関に飛び込む二人。
「すっごい雨!」
ロレッタは髪の毛をしぼった。二人ともまるで服のままアイシャ湖に飛び込んだように、ずぶぬれである。
「とりあえず、タオルを持ってくるよ。それまで待っててね」
ジャンルークはそう言いながら、何気なくロレッタを見た。そしてはっとする。白いブラウスにはりついた素肌が透けて見えるのだ。一瞬にして顔が上気する。ロレッタはジャンルークの視線に気がつき、慌てて背中を見せる。
「やだ、どこ見てるのよ!」
「いや、その」
ジャンルークは慌ててタオルを取りに向かった。自分の着替えはともかく、ロレッタはどうしようか。とりあえずパジャマがあったのでそれを取り出すと玄関に戻る。
 ロレッタは相変わらず背中を向けていた。ジャンルークは苦笑しながら、タオルを手渡した。
「まず、これで体をざっと拭いて・・・とりあえず服が乾くまでボクのパジャマを着てね。ちょっと大きいと思うけど」
「あの・・・先生、ここで着替えるんですか?」
ロレッタの至極当然な質問だった。ごめんごめんと、ジャンルークは急いでロレッタを空いている部屋に案内する。
「ここ使ってないから」
 それからしばらくしてロレッタが髪をタオルで拭きながらだぼだぼのパジャマ姿で登場した。二人で暖炉に火をおこし、濡れた服を広げる。

 ロレッタはやけに無口だった。ジャンルークは、自分の気が利かないせいかと不安に思いながら、ロレッタの顔色をうかがう。ロレッタは澄ました顔をしている。
「ええと・・・服乾くまでどうしよう」
ジャンルークはやたらどぎまぎしながら言うと、ロレッタは突然くすくすと笑い始めた。
「もう、ジャンったら・・・はっきり言っていいのよ」
「・・・」
ジャンルークは真っ赤になった。心はすっかり見抜かされている。ロレッタはジャンルークの首に腕を絡めた。
「とりあえず、キスからね」

 その日のうちに二人は神殿で結婚式の予約を行った。予約後、ロレッタがうち明けた。
「私、ずっと前から決めてたの。成人したらできるだけ早く家を出ようって」
「どうして?」
「だって・・・パパとママを早く水入らずにしてあげたかったから。あの二人ね、結婚して二人きりになったことないの。だから・・・」
「うん、そうだね」
ジャンルークはロレッタの手を握った。ロレッタはつぶやく。
「ジャンルークは私より早く死なないでね」
「死ぬもんか。二人で長生きしよう」
「約束だよ」
「うん」
二人は指切りをした。空には雨の後の美しい虹が広がっている。


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