パレットタウンから葛西臨海公園までは、水上バスでなら直接行くことが出来る。ウィン・ルクセンブルクは渋谷・透とのデートにそのコースを選んだ。パレットタウンまでは少し歩くことになるが、そこから既にデートは始まっている訳だ。
ウィンは今日のデートのために、叔母のアレキサンドラ・葛城に手伝って貰いながらおにぎりをせっせと握ったのである。大きめのバスケットにそのおにぎりと色とりどりのおかず、それから温かい緑茶を入れた小さめの魔法瓶、手作りのマロンパイを詰め込み、透が訪ねてくるのをそわそわしながら待った。
叔母はそんなウィンの様子がおかしくてたまらないらしい。口元に微かに笑みを浮かべながら、リチャードジノリのティーカップに紅茶を入れてそっと差し出す。ウィンは上の空でそれを飲みながら、何度も何度も時計を見直す。
「初めてのデートって感じね」
叔母にからかわれ、ウィンは慌てて首を振った。
「そんなのじゃないわ! デートと言ってもただのお友達だし」
それを聞いてうふふ、と叔母は上品に笑った。
「私が健人と知り合ったときだって、お友達から始まったわ」
健人とは、叔母の配偶者、葛城・健人のことである。叔母の親友ありすのお兄さんを紹介してもらったという形で始まった交際だったらしい。とても初々しい話で、それを聞く度にウィンは母と比較し、実の姉妹なのにどうしてここまで違うのだろうと思わずにはいられなかった。
「風邪引いたときにお見舞いに来てくれるなんて脈ありよ!」
少女のように盛り上がっている叔母を尻目に、ウィンは内心ため息をつく。
(透は優しいわ。つき合えば尽くしてくれるだろう。だけど、それじゃダメなのよ。今の透は私の虚像しか見ていないから)
勝手に理想化された自分を愛されるくらい空しいことはない。所詮恋愛など幻想にすぎないという言い方もあるが、そういう醒めた物言いで、ウィンは誰かと愛し合う喜びを放棄したくはなかった。
女性に夢を見ている透のことを知りつつ、それでもこうしてデートしようとしているウィンはどうにかして現状を打開したかったのである。二人きりで会って自分の話をすることで、少しでも理解して貰いたかったし、透のことももっと知りたかった。
ティーカップを口元に持っていったところすでに空だったことに気が付いたとき、インターフォンが鳴った。はいはい、と叔母が我が事のように嬉しそうにインターフォンに出て、ウィンにウィンクして見せた。
透はウィンが手にしていたバスケットを見るなり、小躍りをして喜んだ。
「それ、ウィンちゃんの手作り? やったー! 重いだろ、持ってあげる」
そう言ってウィンの手からバスケットを受け取ると、至福の笑顔でバスケットに頬ずりをした。
「叔母様と二人でおにぎりを作ったのよ」
「じゃ、具はソーセージとかジャガイモ?」
と言ってくる。ウィンは呆れたように肩をすくめた。
「そんなはずないでしょ! 普通に梅干しと明太子とおかかよ。私、仲居のアルバイトしているから、おにぎりだけは握れるの」
「和服のウィンちゃん見てみたいな〜」
透はうっとりとしている。
「見たいなら、バイト先の旅館に泊まりに来てね☆」
「うんうん、絶対行くよー」
安請け合いをする透。
しばらく歩いてパレットタウンの桟橋まで辿り着いた。ここから葛西臨海公園までは約40分の船旅だ。天気も良く二人はさわやかな秋の空と風を楽しんだ。
船の時間の関係で、辿り着いた頃には昼食の時間となっていた。水族園に向かう前に食事を済ませてしまうことにする。
緑の芝生の上に青いピクニックシートを広げ、バスケットからお弁当とお茶を取り出す。
「どうぞ、召し上がれ」
ウィンが言うと、透は子供のような無邪気な笑顔でおにぎりにかじりついた。
「おいしいよ! オレ、幸せ〜。来て本当に良かった!!!」
透のそんな表情を見てしまうと、ウィンも嬉しくなると同時に切なくなった。透の笑顔を独り占めしたくなるからだ。私だけ見ていて欲しい、そう願うのはただの我が儘なのだろうか。恐らく透は兄ケーナズに対しても同じ笑顔を見せているのだろう。仲直りをした今、兄に嫉妬しても仕方ないと分かっていても、ウィンは胸の奥がちりちりするのを止められなかった。にもかかわらず実際は「そう、良かった」と微笑んでみせる。透と一緒にいたいがために、ウィンは自分がどんどんウソつきになっていくような気がした。透に近づきたくてこうしてデートしているはずなのに、気が付くと自分を取り繕い、距離が遠ざかっているような気がする。
いつの間にか物思いに耽ってしまっていたようだ。気が付くと透がウィンの顔を覗き込んでいた。
「どうしたの? お腹痛い?」
「ううん、違うの」
良かった、と言ってから、透が突然話題を変える。
「ね、前から思ってたんだけど、ウィンちゃんとケーナズの名前って面白いよね」
「そうね」
ウィンは苦笑した。ドイツ語にはこのような名前は存在しない。幼い頃から周囲に理解して貰うために苦労してきた。綴りはケーナズがKenaz、ウィンがWyn。ドイツ語通りに読むと絶対その様には発音できないのだ。
「ルーン文字って知ってる?」
「知らなーい」
あっさりと返す透。ウィンは笑ってこう説明し始めた。
「昔の北欧の人たちが使った呪術的な記号だと言われているけどね。簡単に言ってしまうと、お兄様の名前は数学の記号で言うと『<』みたいな形をしていて火を意味しているの。たいまつや希望などという意味もあるのね。私の名前は『P』に似た記号で、幸せや喜びと言った意味を持っているみたい。日本語で例えて言うなら、お兄様の名前は望、私の名前は幸子とでもなるのかしら?」
「願いを込めて付けられた名前なんだね」
「どうなのかしら? 生物学上の父親が唯一私達に残していった物らしいけど」
「生物学上の父親??? ずいぶん難しい言い方をするんだねー」
「だって、私達には戸籍上の父は存在しないから」
「俺と同じだー!」
と透が言ったので、ウィンの方が驚いた。透はあっさり言う。
「俺も知らないから。でも、俺の名前もお父さんが付けたらしいよ。木曜に生まれたからトール神から取ったんだって(※)」
「あら、じゃ、私達と名前の由来は近いのね」
ウィンはなぜか嬉しくなった。
「ルーン文字にはトール神を表す文字もあるのよ。どんな形をしていたかしら。今度調べておくわ」
意外な類似点に透も喜んだようだった。
「俺、ウィンちゃんと運命感じちゃった」
「大げさね」
ウィンはくすりと笑う。でもあながち冗談ではないのかも知れない。ルーン文字はただの記号ではないから。もともと特別な意味を持つ自分の名をウィンは愛していたが、今日は名も知らぬ父に素直に感謝しておくことにした。
「あ……そうだ、この話、お兄様にしちゃダメよ。お兄様に父親の話は禁句だから」
「どうして?」
「養育費も払わない父親なんて父親として絶対認めない、の一点張りなの。頑固なんだから」
「うん、分かった」
透は素直にうなずく。
デザートのマロンパイもすっかり平らげ、透はすっかり「おねむ」といった雰囲気だったが、昼寝している間に水族園が閉まってしまったらどうしようもないので、バスケットはコインロッカーに預け、早速水族園に向かうことにした。
手が空いた透は
「ウィンちゃん、手を繋ごうよ!」
と手を差し伸べてくる。ウィンはその手を握ってしまったらまた心のもやもやが復活しそうで一瞬躊躇したが、結局繋ぐことにした。
二人が並んで歩いていると皆が振り返る。傍目には絵になる美男美女のカップルなのだ。ウィンは天然のプラチナブロンドの長身でゴージャスな美女だし、透もハーフでジャニーズの滝沢英明似の美青年だし。ヒール付きのサンダルを履いているせいでウィンの方が若干頭が飛び出していたが、それもご愛敬だろう。
この日の葛西臨海水族園は、休日と言うこともありかなり混雑していた。エスカレーターを降りるとまずはシュモクザメの水槽があるのだが、透はなぜか逃げるように離れていった。怖いらしい。取って食われる訳じゃないのに、ウィンは内心でくすりと笑う。その後、マグロが回遊している巨大な水槽ではよだれを垂らさんばかりにガラスにへばりついていた。どうせ美味そうとか思っているのだろう。思わずウィンはこう言っていた。
「今度築地にお寿司食べに行きましょうか?」
うんうんと頷く透。
透お目当てのクラゲの水槽はかなり遠かったが、それを見つけると透はダッシュで近づいていった。愛おしいものを抱きしめるように水槽に手と顔を近寄せる。
「うわー、やっぱりクラゲいいなぁ」
口はだらしなく開きっぱなしだ。せっかくの美男も台無しである。数分間に渡って飽きもせずクラゲを見つめている。ウィンは他の客のために少し距離を置きつつ、腕組みをしながらクラゲではなくそんな透をじっと眺めていた。とても22才の青年には思えない子供っぽい行動である。小学校低学年くらいの女の子がクラゲを見たくて、透の背中を寂しそうに見ていたので、ウィンは透をつついた。
「透、そろそろ良いでしょ」
「えー、もっと見てたい」
「ダメ! 今日は混んでいるからまた今度! どうしても見たければ外の海にいくらでもいるわ」
ウィンは透をクラゲの水槽から引っぺがした。透は心ここにあらずという雰囲気で、何度も名残惜しそうに振り返っていたが、ウィンは容赦なく引きずっていった。
ウィンとて、どうしてこんなお子様な青年をよりによって好きになってしまったのだろうと思わずにはいられない。自分を好きだと言ってくれた男は日本にも大勢いたのに。これではデートと言うより子供のお守りだ。透が成熟するのを待っていたら、自分はおばあさんになってしまうかも知れない、とウィンは自嘲気味に思った。
「そんなにクラゲが好き?」
「うん、オレ、生まれ変わったら絶対クラゲになる」
ウィンの思いなど無関係にうっとりしながら答える透。ウィンはそんな透をからかうようにそっと顔を寄せ服に触れた。
「海って優しいお母さんみたいだから?」
そのとき、ふわっと嗅ぎ覚えのある香りが漂ってきた。兄が好んで使っているシャンプーの香りだ。昨晩透は六本木のマンションに泊まったのだろう。このときウィンのサイコメトリー能力が瞬間的に発動し、透と兄が仲良くグランツーリズモをプレイしている姿が見えてしまった。普段は誰に対してもクールな兄が夢中になってゲームに興じている。
ウィンの心に焼け付くような嫉妬心がわき上がってきた。
(ダメ……二人は友達でただ一緒にゲームをしているだけじゃないの……そんなことでやきもちを焼くなんて大人げなさ過ぎる)
ウィンは自分に言い聞かせようとした。なのに感情のうねりを抑えることが出来なくて、ウィンはしがみつくように透に抱きついた。
「ウィンちゃん、どうしたの?」
透は驚いて目を見開いた。
「ちょっと貧血かも……」
ウィンはそう誤魔化しつつ、さらに強く透を抱きしめた。
(いや……透、私だけを見てよ、お願い!)
こんなに近くにいるのに、透が遠く感じた。何も知らない透はウィンを支えるように、近くのベンチに誘導してくれる。
「もう、大丈夫よ、心配かけてごめんなさいね」
ウィンは透の肩に頭を乗せながらぼんやりつぶやいた。透は真剣な顔で
「レバーとかホウレンソウとか食べなくちゃダメだよ」と言っている。透は本気で心配してくれているのだ。だけど、それはたぶん(実際はウィンの方が年上にもかかわらず)妹に対する感情であって、一女性として愛してくれている訳ではないこともウィンは悟ってしまった。だからこう言った。
「透ってお兄ちゃんみたい」
「え、オレケーナズに似てる? えへへー」
そう言う意味では全然なかったが、ウィンは敢えて否定しなかった。
レストランでハーブティを飲みながらしばらく他愛のない話をした後、近くにある観覧車に乗った。東京湾をぼんやりと眺めながらウィンが指輪が欲しいと呟くと、透は買ってあげると言う。だからウィンは買ってと「妹」らしい我が儘を言った。
その後、電車を乗り継いで銀座まで行き、カジュアルな雑貨屋で綺麗なガラス玉のついた指輪を買って左手の中指にはめて貰った。それを頭上にかざしじっと見つめたウィンは涙が溢れそうになる。
「とっても綺麗。ありがとう」
「似合うよー」
透も自分の見立てに満足したようだった。ウィンのほっそりとした形の良い長い指にはめられてキラキラ輝く指輪を見てにこっと笑った。
透はウィンを叔母のマンションの前まで送ってくれた。無事送り届けることが自分の義務だと信じているらしい。
「今日はこれからアルバイト?」
と別れ間際にウィンが訪ねると、透はぶるんぶるんと首を振った。
「ガールフレンドの引っ越し手伝いに来て欲しいって言われてるから……」
これから? ウィンはいぶかしく思った。
「こんな時間に引っ越しなんてまるで夜逃げみたいね」
やたらトゲのある言い方になってしまったのは、やはり「ガールフレンド」という言葉に反応してしまったせいか。しかし透はそんなことないよーとにこっと笑っただけだった。ウィンは「行くのおよしなさいよ。良いように使われるだけだから」と喉まででかかったが、ぐっと堪えた。今の自分と透の関係で、そんなこと干渉できるはずがない。兄が透はタチの悪い女に弄ばれてばかりいるとこぼしていたが、今回もどうせそんなところなのだろう。
「また、デートしようね、今日はホントに楽しかったよ☆」
別れ際、透は気軽に言った。ウィンはどう答えようか迷った。当たり障りのないことを言うべきなのか、もう会わない方が良いのか。
「考えておくわ」
それがウィンの下した結論。透の表情がちょっぴり曇ったので、慌てて付け足す。
「これからしばらく忙しいの。瀬川・蓮君と富士急ハイランド行ったり、イヴやルゥリィと京都旅行に行く予定とかもあって」
「えー! 富士急ハイランドに美女3人京都の旅? うらやましすぎ!!!」
「うらやましかったら透も女になりなさい。じゃ、またね」
と無茶なことを言って、透を見送った。
マンションの中に入ったもののすぐに戻る気が起きなかったウィンは、殆ど使う者のいない非常階段に回った。空のバスケットを側に置いて階段に腰掛けるともらった指輪をもう一度かざしてみる。
「私ってバカね……」
そう呟くと、我慢していた涙がついに零れた。好きと告白して振られた訳でもないのに、気持ちが一人空回りしている。そして、透と一緒にいたいがためにどんどんウソつきになっていく。だがもう限界だった。兄ほど自分を取り繕うことに長けていないウィンは、己の心が限界を迎えつつあることに気が付いてしまった。さっき、サイコメトリー能力が勝手に発動したのもそれが原因だろう。情緒不安定の状態が長く続くと理性で抑えている超能力が暴走する可能性があった。
「どうしよう……」
ウィンは膝に顔を埋めたのだった。
※英語のThursdayはThor's dayという意味です。