「クルトー、ケーキを余分に焼いたからアンジェちゃん家に持って行ってちょうだい」
キッチンからクルトの母の声がする。
「はい、母さん」
先ほど飲んだ御祝いのワインでほのかに顔が赤くなったクルトは、ちょっとふらつきながらソファから立ち上げると、ケーキを受け取りにキッチンに向かった。
ケーキは木の実がぎっしり詰まった素朴なものだったが、クルトの幼なじみで隣に住む15才の少女アンジェリーク・リオンの大好物だった。アンジェの両親は共働きで家にいないことが多く、在宅の仕事をしていたクルトの母がアンジェの面倒を見ることも多かった。「仲良く半分こしなさいね」と言われてもらったケーキの殆どがアンジェの胃の中に収まってしまった昔の記憶に、クルトは思い出し笑いをする。
ケーキの乗った皿を左手に、クルトは急ぎ足でリオン家に向かった。右手でノッカーを叩きながら「クルトですけど」と名乗ると、やがて白衣を着たアンジェが飛び出してきた。やはり両親は留守らしい。
「やっほー、クルト、良いところに来たわね☆」
なぜかご機嫌なアンジェにクルトはイヤな予感がする。「これ、母さんから」と手にしていたケーキの皿をアンジェに押しつけとっとと帰ろうとしたが、アンジェの満面の笑みに、蛇に睨まれた蛙の如くクルトは帰るに帰れなくなってしまい、気が付くとリオン家の居間に通されていた。
「今ね、ハニワ型サラウンドスピーカーを作っていたのよ」
アンジェは一人でしゃべっている。
「ほら、この前クルトのお母さんの誕生日にハニワ型ミニコンポプレゼントしたでしょ。あのスピーカーじゃ音響効果が甘いから」
「べ、別にハニワ型じゃなくても良いんじゃないかな…」
と控えめにクルトは言ってみるが、アンジェがそれを聞き入れるはずもなく。ただでさえ、シュトラウス家にはアンジェの開発したハニワ型家電品が並んでいるのだ。しかし、なぜ旧ドイツ地区のベルリンで日本のハニワなのか。
「もー、何言っているの。あれはね、クルトの騎士叙勲の御祝いなんだからありがたく受け取りなさい!」
「あ、そうだよね、ありがとうございます」
そう言いつつ、クルトの目はちょっぴり涙目となった。
そう、明日クルトは正式に騎士叙勲を受け、サイバー騎士となるのだ。これは大変名誉なことで、望んだからといってなれるものではない。幼い頃からずっとリンドブルム騎士団に憧れていたクルトにとっては念願の夢が叶うことになったわけだが、その御祝いの品がハニワ型のサラウンドスピーカーというのは若干複雑な心境になるのも当然だろう。アンジェが何かしらプレゼントしてくれるということは、それなりにクルトに対して好意を感じてくれているからなのだろうが。
一人悩んでいたクルトを不審そうに見ていたアンジェがこう言った。
「あ、クルト、なんだか赤いよ。あたしのプレゼント、そんなに嬉しかった?」
「もちろん嬉しいに決まってるじゃないですか」
クルトはアンジェからそう言われて、頬が紅潮するのを覚えた。ハニワグッズかどうかは置いておいて、アンジェからのプレゼントが嬉しくないはずはない。
「赤いのはさっきワインを飲んだばかりだから」
と言い訳しながら、これからはアルコールを飲んでも酔わないのだとふと気が付く。オールサイバーになったら、今までとは世界の見え方や感じ方が変わってしまうのだろうか。クルトは夢が叶えられる直前となって、突然漠然とした不安に駆られるのを感じた。
黙り込んでしまったクルトを見て、アンジェが不思議そうな表情をして顔を近づけてきた。
「どうしたの? なんだか深刻そうな顔をして?」
アンジェのアップになった顔に、クルトはどぎまぎする。発明マニアだけど愛くるしい魅力のある幼なじみのこの少女をクルトは密かに愛していた。だが、今までの兄と妹のような心地よい関係をぶち壊しにしてしまうような気がして、未だに告白できないでいる。
クルトは自分のこの不安をどう表現して良いか分からず、アンジェから目をそらした。アンジェを抱きしめ、そのぬくもりを感じたら少しは不安も和らぐのかもしれない。だけど拒否されたら、一生顔をあわせることなどできなくなってしまう。クルトの葛藤は続いた。
「ぼ、ぼ、僕は…僕はアンジェにつねって欲しいんだ!」
悩んだ末口から飛び出したのはよりによってそんなセリフだった。アンジェの眼鏡の奥の青い瞳が呆れたように大きく見開かれる。
「はぁ?」
「ええと、そのぉ…なんだかまだ夢みたいだなって思って…。だから夢じゃなくて現実だって確認したくて」
と苦しい言い訳をする。本当は生身の身体のうちにアンジェの髪や柔らかい頬に触れて、記憶に刻みこんでおきたかった。18才という年頃の男の願いにしてはかなり奥ゆかしいものだったろう。だがそれすらも言い出せなかった。戦場では人一倍勇敢なのに、恋愛沙汰には信じられないくらい臆病なクルトなのである。
アンジェはなぜかそんな言葉に納得したらしく、にんまりと笑みを浮かべた。
「なーんだ、そうだったんだ。確かにクルトが騎士叙勲を受けるだなんてあたしもびっくりだったもん。じゃあ思い切りつねって良いよね☆」
むぎゅーっと、遠慮無く両手でクルトの頬をむんずとつねった――というよりはびよーんと引っ張った。
「あいたたた!」
クルトはあまりの痛みに悲鳴を上げたが、同時にアンジェにいじられているという屈折した喜びも密かに味わってしまったのだった。
その後、アンジェの指の跡がしっかり残っているのになぜか陶然としているクルトを品定めするようにアンジェはじっと見てこう言った。
「クルトってネコ耳似合いそう♪」
「へ?」
我に返り慌てて頭を押さえるクルト。アンジェは可愛らしく首を傾げながら更に言う。
「うーん、でもクルトって犬っぽいからイヌ耳でもいいかも?」
「なんでそんな話になるんだよぅ」
犬扱いされたクルトは泣きそうな顔をする。そんな顔が飼い主に叱られた犬っぽいのだからアンジェにそう言われてしまうということに本人は全然気が付いていない。
「だって、サイバー騎士になったら色々改造ができるようになるんでしょ」
「でも外見は変えちゃいけないんだからね!」
そう、サイバー騎士は騎士叙勲を受けたときの外見しか許されない。つまり、クルトは死ぬまで18才の姿ということになる。
「え、そうだったんだ。でも、それってつまらないよねー。あ、いいこと思いついた。あたしがアイアンメイデンになって、ツァハリアス・フォン・エルフェンバインくらい偉くなって規則を変えちゃえば良いんだ☆」
ぽんと手を叩くアンジェ。このとき「アイアンメイデン」でなにかを思いついたらしく、アンジェは悪だくみをするときの小悪魔のような顔つきになった。クルトはものすごくイヤな予感がしたが、これは単なるアンジェの子供っぽい思いつきだろうと自分に言い聞かせることにした。サイバー騎士になるのが大変なのと同じく、アイアンメイデンになるのもとても大変なことなのだ。厳しい審査をすべてパスしなければならないのだから。このときクルトは、アンジェのような発明狂少女が、厳しい自律を要求されるリンドブルム騎士団になじめるとは思わなかったのだった。
それから2ヶ月後。手術とリハビリを無事終えたクルトは、騎士団の任務に就くため、これからお世話になるアイアンメイデン達に一人一人挨拶をしていた。麗しいアイアンメイデン達の列の最後にいた新品の制服を着た少女を見てクルトは文字通りひっくり返った。
「ど、どうしてアンジェがここに!?」
「アイアンメイデンになったからに決まってるでしょ」
アンジェは嬉しそうににかっと笑った。
「これからはクルトのメンテ、あたしが担当してあげるからね☆」
「は、はい…今後ともよろしくお願いします…」
そう言いつつ涙目となるクルト。
(誰がアンジェをアイアンメイデンにしたんだよ〜)
クルトやアンジェの家の近所にある、騎士団参謀でアイアンメイデン統括であるエルンスト・ローゼンクロイツ氏の自宅の庭には、最近ハニワ型防犯装置が設置された。
それを見ながら顎に手を当てなぜか嬉しそうに微笑む家主のローゼンクロイツ氏。彼はアンジェの両親の共通の友人ではあったが、むろんコネだけでアイアンメイデンになれるわけではない。自力でこんな「けったいな置物」を作れるアンジェなら優秀なアイアンメイデンとしてやっていけるだろうと判断したのだった。
もちろん理由はそれだけではなく、彼はとかく硬直化しがちな騎士団を活性化させたかったのだ。斬新な――アンジェの場合斬新すぎるかも知れないが、アイディアを持つ若者がやって来ることで、組織のリフレッシュを図るつもりだった。それともう一つ。これは単純にアンジェが彼の興味をひく存在であるということだった。見ていて飽きない少女が部下にいたら面白いではないか。その判断が正しかったかどうかは、時の経過を待つ他ない。