ランス・マクスウェルは、眠りにつけずにいた。何度目か分からない寝返りを打ったり、毛布を頭からかぶってみたりするのが、今夜は優しい眠りは彼には無縁の存在のようだった。
「ルージエストさんって言ってたな…」
先ほど初めて会ったばかりの青い髪の水操師の女性を思いだし、深いため息をつく。
ルージエストは明るく朗らかなエルフの女性だった。会った誰もが好印象を抱くだろう。ランスだって、女性を見て憂鬱になるなんて普通はない。そう、普通はだ。だが、ルージエストがランスのかつての恋人シアのことを知っていたとすると話は全く別である。
シアは、ルージエストと同様に青い髪の水操師で、ランスの最愛の女性だった。しかし、およそ五年前に不慮の死を遂げてしまったのである。ランスはあの当時のことをよく覚えていない。もしかすると記憶を封じ込めてしまっていたのかもしれない。それでも、ルージエストと出会ってしまったことで、シアの思い出が色鮮やかによみがえってしまい、情けなくも眠れないでいるというわけだ。
ランスは眠ることをあきらめ、夜風に吹かれるためにいったん外に出ることにした。
ランスがシアと知り合ったのは、シアの兄ローランドの結婚披露パーティだった。ローランドはランスの同僚騎士で、長年親しくつきあってきた友人でもあった。
結婚なんて私には一生縁がなさそうだな、と思いつつ、上等なワインのグラスを傾けながら幸せそうな新婚夫婦を遠くから眺めていると、若い女性が後ろから声をかけてきた。
「退屈そうね」
明るくはきはきした声である。ランスはその姿を確認するために振り向いた。淡い水色のドレスに身を包んだかわいらしい女性だった。
「いや、そんなわけじゃ」
「いいのよ、兄さんったらのろけまくっているから、見ていて恥ずかしいわよね」
そう言ってころころと笑ったので、この女性がローランドの妹であることが初めて分かった。
「ローランドに妹さんがいるなんて初めて知ったよ」
素直にそう言うと、彼女は自己紹介してくれた。
「私はフェリシア。シアって呼んでちょうだい。今までずっと水操師として修行してきたからツリートップにはいなかったのよ。それにね、兄さんったらこう言うの。『ランスにおまえは紹介できない』って。ランスさんってそんなに女性好きなの?」
そう言ってくすくすと笑う。ランスは飲んでいたワインを吹き出しそうになった。シアはランスのそんな様子を見て満足そうにほほえんだ。
「やっぱりそうなんだー。で、ちなみに今つきあっている人いるの?」
さりげなく訊かれたので、ついついいつもの癖で軽口をたたいてしまった。
「いや、先日振られたばかりでね、今は彼女募集中と言ったところさ」
言った後でローランドの妹相手になんてことをと思ったが、当の本人は全然気にしていないようだった。
「あら、そうなの?じゃ、私立候補しちゃおうかな」
うきうきしながら言うので、ランスは他人事のようにやめておいた方がいいよ、と思わずにはいられなかった。自慢にもならないが、特定の女性との交際は一年と続いたことがなかったからだ。
「あなたとつきあったら、私はローランドと決闘する羽目になる」
とランスが断定するので、シアは目をみはった。
「どうして、そう言いきれるの?」
そう言われると言葉に詰まってしまう。
「いや…私はそういう男だから…」
「でも分からないじゃない。私、ランスさんのこととても気になるよ。兄さんのことなんて関係ないでしょ」
気になる、と言う言葉を臆面もなく使われると案外照れてしまうということに、ランスは気がついた。そして、シアのペースにすっかりのせられているということも。とはいえ、あくまでも友人の妹に対してはいつもより慎重に振る舞わなければならない。そこで用心深く尋ねてみることにした。
「私のどこが気になるんだい?今、会ったばかりじゃないか」
ランスは自分がいわゆる「ハンサム」な人間ではないことは自覚していた。大半の女性は自分の「騎士団員」という肩書きや「ルーンアームナイト」という職業に惹かれて接触してくることは百も承知していたし、自分もそれを最大限利用させてもらっているということも。
シアはその問いに対して、まっすぐ答えてきた。黒っぽい瞳がランスをとらえて離さない。
「兄さんにランスさんの話を聞いてからずっと気になってたの。一度お話ししてみたいなって思ってたわ。そんなにもてる男性って気になるじゃない。それだけ魅力的ってことでしょ」
「魅力って言ってもね…評価してもらっているのは私の本質じゃないよ」
(ルーンアームナイトだとか、近衛騎士団所属とか、そういうことでしかないんだから)
ランスは心の中で付け加えずにいられなかった。それを聞いたシアは突然愛くるしい唇をとがらせる。
「もう、じれったいわね。そういう女の人も確かにいるかもしれないけど、すべての女がそういうわけじゃないの!これだけ私が必死にアプローチしているのにどうして分かってくれないの?」
「は?」
「私とつきあって!こんなこと女性に言わせるなんて失礼よ」
ランスは猛然と怒るシアを見て、あっけにとられるしかなかった。会ったばかりのシアが自分に恋愛感情を抱いてくれるなんて幻想を抱くほどランスは「うぶ」ではないので、シアは好奇心で自分とつき合ってみたいのだなと勝手に推測した。とりあえず特定の彼女がいないのは事実だし、サービスで二、三回つき合うくらいは罰が当たらないだろうと思い、とっておきの笑顔を見せた。
「すまなかった、お詫びに今度おいしい食事をごちそうさせて欲しい」
「わあ、楽しみだわ」
シアの顔が無邪気に輝いた。笑ったり怒ったりと忙しい娘だなとランスは内心感心してしまったのだった。
ランスは当初、シアのことをエキセントリックな娘だと思っていた。最初の出会いがあんな感じだったから、そう思うのも無理はない。だが、実際は志の高い努力家であることが判明した。代々騎士を輩出する名門の家の娘だから黙っていても良縁に恵まれるはずなのに、敢えて水操師としての厳しい道のりを選択し、辛い修行にも耐えてきたらしかった。最近になってようやく水の精霊との契約を終え、晴れて水操師となることができたらしい。将来の夢は優秀な医者となって一人でも多くの人の命を救うこと、と目を輝かせながら語ってくれた。
ルーンアームナイトとして父から厳しい教育を受け、この仕事に人一倍誇りを持っているランスにとって、シアの夢は非常に共感できるものだった。職業は異なるものの、価値観が非常に似通っている二人の心は案外あっけなく接近したのである。
いっさい打算のないシアの笑顔を、ランスは新鮮に感じた。そして、それをとても好ましく思った。何度もデートを重ねていくうちに、シアのいない生活など考えられなくなり、二人は時間の許す限りともに過ごすようになっていった。
シアとつき合うまでのランスにとって、恋愛とは趣味やスポーツのようなものでしかなかった。女性にはまったく不自由していなかったし、そのためか誰かに執着するということもいっさいなかったのだ。(一人の女性に夢中になり、即結婚してしまった)ローランドに「お前は本当は愛を知らないんだ」と偉そうに説教されたことすらある。
ところが、シアを愛するようになってから、ランスは己の中の激しい独占欲に気がつき驚きを隠せなかった。シアをほかの男には絶対渡したくない、自分だけを見ていて欲しい、そんな十代の少年のようなほとばしるような情熱が自分の中に眠っていたことが信じられなかったのである。
ある日不安になったランスは、デートの最中シアにこう尋ねた。
「どうして私とつき合おうと思ったんだい?」
シアはくすっと笑って、ランスの指に自分の指を絡めてきた。
「あのね、本当のこというと、前からランスのこと知ってたの。仕事している姿がすてきだなってずっと思ってた。だけど、きれいな女性と歩いている姿見たことあったし…私じゃかなわないかなって…」
「参ったな…」
前の彼女とのデート姿を見られていたってことか。ランスは苦笑するしかない。
「でも、勇気を振り絞って告白して本当に良かったよ。ランスは兄さんが言うようないい加減な男じゃなかったもの」
それを聞いたランスはこそばゆくなる。しかし、それと同時にシアと一緒ならローランドの言う「いい加減な男」から脱出できるような気がした。
「うーん、そうなのかな」
「そうよ、だからもっと自分に自信を持ちなさいって」
「はいはい」
ランスはそう言いつつ、シアの手を強く握った。そのぬくもりに、ここしばらくなかったような幸福感を味わったのだった。
そう言いつつ、シアも不安は感じるようだった。ある日夜番で遅くなったランスのことを彼の家でずっと待ちわびていたシアは、戻ってきたばかりで汗とホコリだらけのランスに抱きついてきたことがある。
「帰ってこなかったらどうしようかと思ってた」
「まさか。とりあえず風呂に入らないと…」
「お風呂なんて後でいいでしょ」
シアは拗ねてみせる。ランスはシアの額にそっとキスをした。
「シアは案外心配性だな」
「ばかぁ。私、ディアマンテ(注:ランスの魔装剣)がうらやましいんだから!」
「どうして?」
「だって、いつもいっしょでしょ」
ランスは魔装剣にやきもちをやくシアがおかしかった。冗談めかしてこう答える。
「シアみたいな魔装剣と契約したら大変だよ。いちいち行動をチェックされそうだ」
「そんなことないもん!私ならランスをしっかり守ってあげるもん!」
「悪い虫が付かないように、だろ?」
「もー!」
と怒ってみせるシアを、ランスは思い切り抱きしめキスをした。
それから数刻後、そばですやすやと眠るシアの安らかな寝顔を見つめながら
(この私も、そろそろ年貢の収めどきかもな)
とランスは思ったのだった。
ある日非番の時、シアの兄ローランドがランスの家を訪ねてきた。
「おまえ、シアと本気でつき合ってるのか?」
怖い顔をしている。ランスの今までの女性遍歴を知るものとしては、妹のことを放っておけないのは当然だ。ランスはいたってまじめな口調で答える。
「もちろんだとも」
ローランドはランスを不信感の混じったまなざしでじっと見つめた。
「本当か?」
「ああ、君の義弟になる覚悟が出来たよ」
「そうか」
それを聞いたローランドの口元にようやくかすかな笑みが浮かんだ。
「なら、安心だ」
「シアを絶対に守るよ。約束だ」
ランスはこのとき、自分ならシアを守ることが出来る、と固く信じて疑わなかった。
そろそろシアにプロポーズでも、と思い始めた矢先のことだった。ローランドと約束を交わしたときに速攻で実行していれば良かったのかもしれないが、それまで独身主義を貫いてきたランスにとって、結婚とは未知の領域だった。飛び込むには勇気が必要だったのである。もしかすると、物心つく前に母を亡くしているため暖かい家庭というものを、どうしてもイメージできなかったからかもしれない。
いつものように夕食を一緒に食べていると、シアが突然こう切り出した。
「私、明日からちょっと出かけてくるから」
それを聞いたとき、ランスは何も思わなかった。シアが仕事で出かけるのはしょっちゅうだったし、自分自身も任務で出かけることはたびたびだった。
「今、あちこちの村で熱病が発生しているんですって。子供がかかると軽い症状ですんでしまうけど、大人がかかるとかなりの確率で死んでしまうたちの悪い流行病なの。幸い私は幼い頃にかかっているから感染する危険はないんだけど。だから手伝いに行ってくれってお師匠様に頼まれちゃって」
「なら安心だ。そうそう、帰ってきたら話があるんだ」
「あら、私も話があるの。じゃ、そのときまでおとなしく待っててね。浮気しちゃいやよ」
シアは明るくそう言い残すと、明日の出発の準備のために家に帰っていった。それが、ランスの見たシアの最後の元気な姿だった。
それから一週間ほどたった頃だろうか。ランスが後輩たちと剣の訓練をしているとき、ローランドが血相を変えて飛び込んできた。
「ランス、シアが…シアが…」
それ以上言葉にならないでいる。ランスは不安を覚えながらローランドに尋ねた。
「シアがどうしたっていうんだ?」
「…死んでしまったんだ…崖から足を滑らせて…」
そう言うなり、ローランドは手で顔を覆った。ランスは我が耳を疑った。
「嘘だろう、冗談だと言ってくれよ」
「…嘘じゃない、俺だって嘘だと信じたかった…」
ランスは全身の血の気がさーっと引いていくのを感じた。シアが死んだ…?こんなリアリティのない話がどこにある。
ローランドの話をまとめるとざっとこんな感じだった。派遣された村では熱病の蔓延がひどく、用意してきた薬草ではとても間に合わなくなってしまったそうだ。そこで、シアは近くの山に薬草を探しに行ったのだが、その帰りに崖から足を滑らせ、打ち所が悪くて亡くなってしまったのだという。シアが戻らないのを心配した村人に遺体は発見された。シアのつんできた薬草によって十数人の村人の命は助かったらしい…。
知らせを聞き呆然としているランスをローランドは実家に引きずるように連れて行った。そこにはシアの遺体が安置されていたのだった。
最初、ランスは遺体に向き合うことを拒否した。彼の心はシアが死んだことを認められず、現実と直面することを恐れていた。だが、ローランドがこうぽつりとつぶやいた。
「シアはランスに会いたいと思うよ」
その言葉にランスははっと我に返り、頭を垂れた。
「その通りだ。世話をかけてすまない」
ランスは過酷な運命と向き合うことにした。
死化粧を施されたシアは、初めて出会ったときにまとっていたお気に入りの水色のドレスを着せられ、美しい色とりどりの花が敷き詰められた棺に横たえられていた。何が起こったか分からないまま亡くなったのだろう、表情は非常に安らかだった。ランスはそっとその白いほおに触れた。いつも感じていたぬくもりはなく、陶器のようにひんやりと冷たい。ランスはシアが死んでしまったという現実を肌で悟ったのだった。
「シア…ごめんよ…」
ランスは棺のそばに跪き、声を押し殺し泣いた。
「私は君を守ることが出来なかった…許してくれ…」
それからのことをランスはよく覚えていない。葬儀のことも、それからどうやって半年間過ごしたかと言うことも。シアを失ったという喪失感は想像していた以上に激しくランスを打ちのめしたのだった。
それでも、ランスはローランドと悲しみを分かち合うことが出来ただけでも良かったのかもしれない。シアの喪が明けた後、ローランドはこう言った。
「シアは、お前が一生シアのことだけを思い続けているのは望んでいないよ。死者のことをいつまでも悔やんでいるよりも、お前にはやるべきことがあるだろう」
ランスはローランドの言葉が正しいことを分かっていた。ただ、それを認めたくなかっただけなのだ。
「ああ、分かっているよ。分かっているんだ」
ランスは、ローランドと言うよりもむしろ自分に対してそう言い聞かせるように答えた。
それ以来、ランスは誰よりも任務に熱心になり、ルーンアームナイトとしての技にも磨きがかかった。そしてそれと反比例するように、不特定多数の女性との一時的な恋愛に走るようにもなってしまった。「運命の女性を探している」という口説き文句もこの頃から言い始めたのである。ランスにとってシアが運命の女性のはずだった。しかしシアが逝ってしまったのなら、どこかに別の運命の女性がいるに違いない。そう思わないでは、これからの長い人生を生きていけそうになかったからなのだが。女性たちと浮き名を流しても、ランスの喪失感は決して満たされることはなかった。
「眠れないの?」
昔のことを思い出し感傷にふけっているランスに、後ろから話しかける者がいる。振り向くと、そこにはルージエストがいた。
「君こそ、こんな時間まで起きていたのか?」
ランスはちくちくとした胸の痛みを覚えつつ、落ち着いた口調で尋ねる。
「うん、まだ仕事が終わらなかったから」
ルージエストはそう明るく言うと、ランスのそばに腰掛けた。
「ちゃんと睡眠はとらなくちゃダメだよ。仕事に一生懸命なのは分かるけど、働くときは働く、休むときは休むってメリハリつけなくちゃ」
「ああ、そうだな」
こうやって身体に気をつけてくれるのはシアとそっくりだな、とランスは思った。同じ水操師なのだから当然なのだろうが。
「あんまり自分で抱え込まない方がいいって。なんだって相談に乗るから、ね」
それを聞いて、ランスはしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「…最近己の無力さがつくづくいやになるよ、どうして自分は生きているんだろうと自問することがたびたびだ」
「そうだね。だけど、生きている以上なにかしら意味があるんだよ、ね?」
「ああ…そうであって欲しいよ」
ランスは敬愛していた団長ライナスや、自分が助けられなかったキルデアの村人たち、そして自分の手の届かないところで死んでしまったシアを想い、目を閉じた。死んだ者は世界樹の一部になるといわれている。だとしたら、絶対に自分は世界樹を守らなくてはいけないのだ。それが生きている者の責務なのだろう。
「あたし特製の安眠茶煎れてあげようか?効き目抜群なんだから」
ルージエストが立ち上がった。ランスはそんな彼女を見上げる。
「じゃ、お言葉に甘えていただこうか。それ、甘くないだろうね」
ルージエストは、ランスの質問している意図が分からず首を傾げた。
「お茶なんだから甘くないに決まってるでしょ。さ、立った立った」
ランスは気取りのないルージエストの仕草にほっとしたのだった。明日もまた忙しい一日となるだろう。