インターミッション


 深夜、イアン・ソレルは、テーブルに向かって手紙を悪戦苦闘しながら書いていた。辞書を引きつつ書くのだが、しょっちゅう単語の綴りを間違うので、そのたび便せんにインクの黒いシミが増えていく。
ディノ・グランリード様
 お元気ですか。ボクはおかげさまでなんとか元気でやっています。

小学生が書く作文レベルの文章だが、本人はこれでも必死なのである。
実は先日、うちの奥さんが赤ちゃんを産みました。ボクの予想通り女の子で、エヴァンジェリンと名付けました。みんなはボクに似ていると言ってくれます
ここまで書いて、今はすやすや寝ているはずの愛娘エヴァの顔を思い出しにっこり笑う。
初めての子育てにボクも奥さんもてんてこまいだけど、このボクがパパだなんて信じられますか?
「本当はお父さんやお母さんにもエヴァの顔を見せてあげたいけど…」
そうつぶやいてイアンの顔が曇った。自分たちは事情があって祖国を捨てた身だ。エヴァは自分の実の祖父母に会うことは一生叶わないのだろう。その代わりに、元気な曾祖母がそばにいるわけだが。
 しばらく無難な近況報告や親バカっぷりを発揮しまくった後、最後に
奥さんがよろしくと言っていました。また機会があればお便りします。
と結んだ。

 「次の機会なんていつだろう」
手紙を二重に封しながら、イアンはため息をついた。この手紙も果たして手紙の宛先である、叔父ディノの元にたどり着く保障などない。たまたま親しくなった職人が晴れて「外」に出て行けることとなり、そのときならこっそり手紙を届けてもいいと言われたのだ。もちろん、帝国人である叔父に直接は出さず、知人のユージェニー・ハノン・フーリエに届けてもらうことになっている。そのユージェニーが、これまた叔父ではなく叔父の娘、すなわちイアンの従妹エオラトル宛に偽名で手紙を出すことになるだろう。
 イアンもその妻リースフィアフィアも祖国タルザニア帝国では「死人」扱いとなっている。紆余曲折を経て祖国を捨て、今はアガーナ商会の機甲兵秘密工房にいるのだ。不自由ではあるが、二人にとってセディメンティア中で一番安全な場所なのである。そんなイアンが叔父に手紙を書くことがかなり危険なことであることくらい重々承知している。だからこそ、無難な内容しか書けない。しかし苦労をかけた叔父には二人とも無事に生きていて、新しい家族を迎えたことだけでも知って欲しい、そう思っている。

 アガーナ機甲兵秘密工房に来た当時、迷いがなかったかといえばウソになる。リースフィアが開発した魔鉱炉でアガーナの機甲兵の性能は良くなるだろうが、その結果、バレナ帝国にいて機甲兵開発を行っているリースフィアの妹シルヴィスと間接的に対決していることになる。
 メア家の秘められた悲劇を知っているイアンは、そんなことをさせたくなかった。だが、アガーナ行きを苦悩しながら決めたのはリースフィア本人だ。イアンがそのことで悩めば悩むほど、リースフィアを苦しめることになるのだということは分かっていた。実際、リースフィアは娘のエヴァを身ごもったことが分かるまで、ずっとふさぎ込んでいたのだ。イアンはリースフィアをこれ以上悲しませたくなかった。だから己の葛藤は心の奥深く沈めてしまうことにした。生きていさえすればチャンスは巡ってくる、そう信じている。だから今は過去は振り返らず、前だけを見据えて歩いていこう、そうイアンは決意したのだった。
 その結果、イアンは微妙に変わった。明るくて人なつっこい青年であることに違いはなかったが、言動も落ち着き子供っぽさはなりをひそめた。また、リースフィアのおまけで付いてきたと周囲から思われるのはシャクなので、(どうやらアガーナ秘密工房では、ラファルツ機甲兵工房のことをあまりよく思っていないため)ラファルツ工房出身のプライドにかけてせっせと仕事をしている。もしかしたら自分たちの作った機甲兵がタルザニア帝国軍と激突する可能性だってあるわけだが、それは仕方のないことだと諦めている。
 罪のないリースフィアを機密流出の犯人として罪をなすりつけようとして、ラファルツ工房にいることをかなわなくさせたのは、おそらく帝国宰相だ。それは以前アクテ・オルセットから聞いた話から間違いないと思う。機密流出の実行犯はルシエト・クルツだったが、あくまで彼は誰かの命令に従って動いていたにすぎない。メア博士をアガーナ商会に「売った」のも宰相らしいので、機密流出の張本人も宰相だったと結論づけて間違いないだろう。なぜ、宰相がアガーナ商会に機密を流したり、メア博士を「売った」りしたのかまでは見当もつかないが、この人物が帝国の中枢部にいる限り帝国にとって良くないのではないかと、複雑な思考が苦手なイアンですら思う。帝国がセディメンティアを統一しようとしているという話は、祖国にいたときはなんの疑問にも思わなかったが、ここエクシズに来てからはそれは間違っていると断言できるようになった。「いろいろな人がいていろいろな国があるからいいのに」というイアンらしく単純な理由からだったが、すべてタルザニア帝国の色に染めてしまおうなんて発想は絶対間違っているとイアンは思うのだ。アガーナで機甲兵開発をし、それが帝国の暴走の抑止力になるのなら、自分とリースフィアがここに来た意味はあった、と感じている。リースフィアの母サフィーナの話だと、メア博士は帝国の住み着く「魔物」に気がついてしまったと言っているではないか。その「魔物」が何であるか、イアンは未だにメア博士に尋ねる機会を得ていないが、もしかしたらその異様な雰囲気そのものであり、その中心にいるのが宰相なのかも、など思ったりもしている…。
 ひとりであれやこれや考えても仕方ないことは分かっている。今はただここアガーナ秘密工房で自分たちにできることを精一杯やるだけだ、ということも。

 「さて、寝ますか」 イアンは立ち上がりぐるぐると首を回した。手紙を書くのは好きなのだが、毎回肩がこってしまう。幼い頃勉強をさぼったつけが今頃回ってきているのだ。
 部屋の明かりを消し床につこうとするが、なぜか寝付けない。そこで夜風に当たるためそっとベランダに出た。美しい星々が頭上で瞬いているが、ほとんどは見慣れぬ星座だった。かすかに吹く風も暖かく潮の香りがして、自分が異国人なのだと思い知らされる。郷愁にかられ胸がちくりと痛んだが、以前のように泣いたりはしなかった。
「フェル姉どうしてるかな」
思わずつぶやく。フェル姉こと、フェル・テルミンはルシエトと逃げたという話だけはナタリー・ブーランジェから聞いているが、行方を知ることはできなかった。姉同然に慕っていたフェルには絶対幸せになって欲しい。リースフィアが偽装自殺をする羽目になった直接的な原因はルシエトが作ったわけだが、リースフィアの内心はともかく、イアン自身はルシエトを恨むつもりはなかった。それよりもいつかきちんと罪を償って欲しい、そう思うのだ。
 そんなことを考えているとき、背後でかすかな物音がした。驚いて振り向くと、そこには寝間着姿のリースフィアが立っていた。
「眠れないの?」
うん、とイアンはうなずく。リースフィアはさりげなくイアンに寄り添った。優しい体温を感じ、イアンはリースフィアの華奢な肩をそっと抱く。

 しばらく二人はそうしていたが、イアンが口を開いた。
「今まで黙っていたけど、とっておきの秘密の話するね」
「なーに?」
リースフィアの瞳が好奇心に輝いた。イアンはちょっと照れくさそうに笑う。
「ボクがリースを女性として意識したのは、洗いたての髪を見たときだったんだよ。そのときは自分でも気がつかなかったんだけど。あのときのこと覚えている?」
「ええ、忘れてないわ」
リースフィアはそう言うと思い出に浸るかのように目を閉じた。
「あのとき、イアンったらいきなり部屋に入ってきたでしょ! びっくりしちゃった」
「ごめんね、ごめんね」
イアンは今更謝っても仕方のないことをまた謝っている。あのときフェルも交えて3人で長い間話し込んだのだった。
「懐かしいわね」
「うん」
「じゃあ、私もお返し。あの頃私はイアンのこと弟みたいだって思ってた」
「あ、やっぱり?」
イアンは無邪気に笑った。この辺がイアンらしさなのだろう。
「だって、夜になんの遠慮もなく私の部屋を尋ねてきて、普通に話して帰っちゃうでしょ。だから、そんな風に思われているだなんて想像もできなかったわ」
「そ、それはね、後からとんでもないことをしていたって気がついたんだよ!」
それを聞いて思わず声をあげて笑ってしまうリースフィア。笑わないで、と赤くなるイアン。

 こんな風にラファルツ工房時代を振り返るのは本当に久しぶりのことだった。最初は精神的な余裕のなさから、最近は生まれたばかりのエヴァの子育てに追われていたため二人で思い出話に花を咲かせるなんて事はできなかった。
 「アクテは元気でやってるかな。ラルさんとはもうゴールインしたんだろうか」
イアンがそう言うと、リースフィアは首をかしげた。
「え、あの二人ってそういう仲だったの!?」
「へ? もしかして、リース、全然気がついてなかった?」
「あの二人は幼なじみなんでしょ。だから仲がいいとは思っていたけど」
今度はイアンがくすくす笑う番だった。リースフィアは本当に世事に疎い。研究に没頭するあまり、別世界に住んでいるんじゃないかとイアンが心配するくらいだ。今はエヴァという新しい家族ができたおかげで、自分の世界に籠もりきりというわけにもいかないのが幸いしているようだが、イアンが気を付けていなければ、その日の夕飯の支度のことを忘れてしまいそうになるくらいだ。
「…つまりリースとアクテは似たもの同士ってことだね」
「ええ? それどういうこと?」
リースフィアは訳が分からないというように首を振るばかり。イアンはにっこりした。
「前からそう思ってたけど、二人は同類だね、本当に」
「…確かに…似てるかも…」
リースフィアにも心当たりはあるようだった。イアンにとってアクテは今でも大切な友人だ。だが、こうして離れてしまった以上最大のライバルでもある。しかし、奇妙なことにそんなライバルがいるからこそがんばれる気もするのだった。
 イアンがアクテに対して心残りが二つあった。一つは別れの挨拶ができなかったこと、そしてもう一つは自分の手でセディメンティア号を動かすことができなかったことだ。アクテは万年助手で満足していた自分に開発する喜びを教えてくれた恩人だった。なのに志半ばで工房を去ったことで、アクテとその姉リゼットの期待を裏切ったという後悔の念だけはイアンの心から去ることはなかった。しかし、その思いをリースフィアに語ることは絶対にない。語れば彼女を苦しめることになるのが分かっていたからだ。むしろ、アクテに対する楽しい思い出を語ることで、無意識のうちにリースフィアに対して(もしかすると自分自身に対しても)「ボクは全然気にしていない」というポーズを取っていたのかもしれない。

 そんなイアンの気持ちを知ってか知らずしてか、リースフィアがイアンの指に自分の指を絡め、おずおずと尋ねる。
「ねぇ、幸せ?」
「幸せだよ」
イアンはにっこり微笑むとためらわず答えた。
「ボクには大切な君とエヴァがいるから」
それはウソ偽りのない言葉だった。
「ここでいくら頑張っても、誰もあなたのことを賞賛してくれなくても?」
リースフィアのその声は、悲痛な響きを帯びていた。二人とも「死人」である以上、その名が世間に知られることは一切ない。イアンは首を振るとリースフィアの指をぎゅっと握った。
「ボクは賞賛なんて全然欲しくないんだよ」
 同様の言葉を何度繰り返しただろう。たぶん、リースフィアが自らを責めなくなる時まで言い続けるに違いない。だけどイアンはそれでかまわなかった。人の心は理屈で割り切れるものではない。頭では分かっていても、それでも時折自責の念に駆られてしまうのはある意味当然だと思っている。ましてや、今はリースフィアは出産後間もなく、精神的に不安定な時期でもあった。
 リースフィアの瞳に涙がにじむ。イアンは「愛しているよ」とささやきリースフィアを片手でそっと抱きしめたのだった。

 しばらく沈黙が二人の間を流れた。それを遮ったのは、部屋の中から聞こえてくる娘エヴァの泣き声。授乳の時間なのだ。赤ん坊には待ったはない。
「はいはい、今行きますからねー」
リースフィアがとたんに母親の顔となった。
「娘がお腹空いたーって泣いているのに、自分が泣いているわけにはいかないわよね」
涙を指でぬぐい、イアンにほほえみかけると、寝間着の裾を翻し部屋の中に戻っていった。イアンも慌ててその後を追ったのだった。

- The End -


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