ルージョンがやってきた


 なじみの食料品店でいつも愛飲している茶葉を買い求め工房に戻ろうとしていたイアン・ソレルの足は、路地から聞こえてきた突然の罵声と子供の泣き声にふと止まってしまった。
(どうしたんだろう)
 子供が虐待されるのを黙って見ていられる性分ではない。イアンは路地に急いで入っていった。
 そこでイアンが目にした光景は、目を覆いたくなるようなものだった。7才くらいの少年が、屈強な男に容赦なく足で蹴られていたのだ。少年は体を丸め、頭を手でかばって必死に耐えている。
「やめて下さい!」
イアンは少年と男の間に割って入っていった。男はそんなイアンを腕で払いのけた。
「余計なお世話だ。こいつはオレのモノなんだからなッ!なにしようと勝手だろう!」
「オレのモノって、この子はモノじゃないんだから」
イアンの目は男をとらえた。すると、男はあざけ笑う。
「なにも知らないんだな、こいつは人間じゃねえ、ただのルージョンなんだよ!」
男の残酷な仕打ちの訳もなんとなく合点がいったが、だからといって引き下がるイアンではない。
「ルージョンだって生き物だろ!ましてやあんたがマスターならちゃんと面倒を見なくちゃいけないんだよ!」
「なんのことだか」
男は聞く耳持たぬという様子だった。イアンは足下でおびえきっている少年型のルージョンを見やった。ろくに食べ物も与えられていないらしく、やせぎすで服はぼろぼろ、顔も薄汚れていた。
(ごめんよ、ボクにはこれ以上何もしてやれないんだ)
そう思い、イアンは目を伏せた。すると、驚いたことに男がにやりとしながらこう言ったのである。
「実を言うとな、オレは本当のマスターじゃねえ。こいつの本当のマスターがくたばっちまったとき、オレに借金を残していたんで引き取ったはいいが、なんにも使えやしねえ。穀潰しの役立たずだ。あんたが引き取ってくれるって言うんなら喜んで渡してやるぜ。ただし、こいつのマスターが残した借金を代わりに払ってくれればの話だがな」
「な…」
さすがのイアンも絶句した。あまりにも無茶な話で、ああ、そうですかと承諾できる話ではなかったからだ。しかしルージョンが「役立たず」扱いされるのも当然のことである。なぜならきちんと契約もせずに、命令など聞くはずがない。男はそのことを知らなかったのだろうか。もしかすると、瑛獣錬金術師に本契約を頼む礼金を惜しんだのかもしれない。

 二の句を告げないでいるイアンをすがるように見ているルージョンが、絶望的なまなざしになったのを見て決意した。挑むようにこう尋ねる。
「その借金っていくらなんですか?」
「9000ECってとこか」
男はにやにやしながら言った。こんな大金払えないだろうと言いたげである。イアンは唇をかんだ。自分が工房で働くときの日給は20ECである。休まず働いたとしても約1年半分の給金に相当する。イアンは深く息を吸い込むと覚悟を決めた。
「分かりました。ただ、今すぐは準備できないので明日まで待ってください」
男は自分から言い出したくせに、あんぐり口を開いた。
「おい、まじかよ」
「だって、あなたが準備しろって言ったんでしょ。明日の今頃、ここに来ますからそのつもりでいてください」
イアンはそう言うと、しゃがんでルージョンを助け起こした。
「ボクが君を引き取るから。いいね?」
ルージョンの青い瞳が見開かれた。
「そんな…だって…」
「いいんだよ。ボクのいるところには、君の仲間が何人もいる。ボクはイアンっていうんだ。君の名前は?」
「…ベンジャミンです…」
か細い返事だった。突然の出来事に混乱しているような表情である。それを見たイアンは自分が守ってあげなければという気持ちになり、改めてベンジャミンを引き取る決意を固めたのだった。

 工房に帰って自分の貯金をすべて数えてみたが、6000ECしかない。やむを得ず、過保護な両親がなにかあったときのためにと渡してくれていた貴金属を質屋に換金しに行く。しかし、それでも500ECほど足りなかった。そこで、叔父ディノ・グランリードのところに頭を下げに行くことにした。
 「叔父さん、何も言わずに500EC貸してください。必ず返しますから」
普段のイアンと違う丁寧な口調に、ディノの眉が不審そうにひそめられた。
「お前、金には困ってなかっただろう。いったいなにがあったんだ?」
「なんでもないってば!」
「ウソだな。正直に言いなさい」
ディノの執拗な追求にイアンはついに口を割った。
 「バカか、お前は!」
ディノはイアンに説教した。
「今日会ったばかりのルージョンに、見ず知らずのヤツの言ったまま9000EC払うって言うのか!?」
「だって、かわいそうなんだよ。叔父さんだってルージョンがいじめられていて平気なの?」
めそめそするイアンにディノはため息をつくしかなかった。
「そりゃ、平気なわけはないさ。だが、世の中には自分じゃどうしようもない事ってあるだろう?」
「だけど!9000ECならなんとかなるんだよ!そりゃあ10万ECなんて言われたら絶対に無理だけど。自分にできることなら、ボクは何とかしたいんだ!」
「そのためにおまえは自分の給金約2年分を棒に振るって言うのか?」
「うん…。だって、それでベンジャミンがいじめられずに済むのならボクは平気だよ!」
 ディノはもうイアンに言い聞かせる言葉を持たなかった。世間知らずだから、よく面倒見てやってくださいとはイアンの父ベルナール(ディノの亡き妻アイラサウラの兄)から言われていたが、ここまで世間知らずな上にお人好しなイアンになにを言っても無駄だということを悟ったのである。それに、その金がルージョンを救うのに使われるのなら仕方ないか、という気持ちはディノにも多少あった。貴重なルージョンが工房に一人追加されることで、開発の手助けにはなるだろう。
 そんな思惑は秘めたまま、ディノはイアンに500ECを差し出した。
「返すのはいつでもいい。だが、自分で稼げ。実家には頼るな。それだけだ」
イアンは目に涙を浮かべた。
「うん、もちろんだよ。これからもっともっと働くよ!ありがとう、叔父さん!このご恩は絶対に忘れないからね!」
(ご恩はいいから、少しは大人になってくれ)
ディノは内心思ったが、図体が大きいだけでまるきり子供みたいなイアンを憎めないのも事実なのだった。もしかしたら、イアンの中に亡き妻アイラの面影を見出してしまうのからかもしれないが。

 翌日、イアンはなけなしの9000ECを手に昨日の路地に向かった。これでベンジャミンがいじめられなくて済む、という一心だったのである。
 ところが、約束の場所には男はいたが、ベンジャミンはいなかった。
「どういうことだよ!」
イアンは怒鳴った。
「約束だっただろ!?ベンジャミンはどこだ?」
「ふん、なにが約束だよ」
男はにたにたしながら、イアンをねめつけた。
「のこのこ9000ECも持ってきたのかい。そりゃあ、ご苦労なこったな」
そう言いながらイアンの手から金の入った袋を奪おうとする。
「やめろ!」
イアンは必死で袋を守ろうとした。
「この金はベンジャミンと引き替えだ」
「そうはいかないんだよ」
突然イアンの背後に男の仲間と思われる体格のいい男が登場した。イアンを後ろから羽交い締めにしようと飛びかかってくる。イアンはとっさに避けた。だが、屈強な男たち二人に袋小路に追いつめられ、イアンは絶体絶命のピンチに陥ってしまった。
(参ったなあー)
イアンはこの状況に途方に暮れた。
(剣を抜くのは避けたかったんだけどなー)
と思ったが、背に腹は代えられない。
「あんたたち、悪いことは言わない。怪我したくなかったらベンジャミンを連れてきた方がいいよ」
この場に及んでもとりあえず男たちの説得を試みる。だが、男たちは一見頼りなげなイアンがはったりをかましていると思っているようで、耳を貸そうともしない。
「もう!あんたたち、ボクの話聞いてないね」
イアンは仕方なくファルシオンを抜いた。それでも男たちは余裕の表情だった。
「ごめんよ!」
イアンは謝りつつ、最初の男の足を斬りつけた。足を攻撃すると、とりあえず身動きが取れなくなるので戦意喪失させるには効果的なのである。
「うぎゃーッ!」
本気で切ったわけではなかったが、男は死にそうな声で絶叫した。狭い路地に野次馬たちがぞろぞろやってくる。
「お願いだからベンジャミンを連れてきてよね」
イアンはやむを得なかったとはいえ人を怪我させたことに自己嫌悪を覚えつつ、もう片割れの男に言った。イアンは軍に1年いたこともあり、実は優れた剣の使い手でもあった。だが、残念なことに絶対にそうは見えないのである。そのせいでケンカ相手に怪我をさせてしまったことが一度や二度ではなかった。

 男たちが引っ込んでからすぐ、ラファルツの警備兵が事情聴取にやってきた。だが、工房関係者であることと事情を伝えると、「ご苦労様です。災難でしたね」と言い残しそれ以上追求されることはなかった。
 やがて足に包帯を巻いた男とベンジャミンがやってきた。ベンジャミンは昨日と同じ服装だった。顔に新たにアザが出来ているところを見ると、さらに殴られたのは想像に難くない。
「おいで!」
イアンがベンジャミンに手をさしのべると、ベンジャミンはイアンにすがりついてきた。かすかに震えている。イアンはそんなベンジャミンを左手でかばうように抱きしめながら、右手で男に金の入った袋を手渡しした。
「ちゃんと確認してよね。ボクはあんたたちみたいに騙したりしないんだから」
「もうお前らとはかかわりたくねえよ!」
男は捨てぜりふを残すと袋を大事そうに胸に抱え、数えもせずその場を立ち去ってしまった。どっしりとした重みでイアンの言葉にウソがないことが分かったのだろう。
 「もうこれで、君とあいつは関係なくなったんだよ」
イアンはベンジャミンに優しく語りかけた。ベンジャミンはまだ信じられないというように、イアンにしがみついてきたのだった。

 ルージョンは本契約をしない限り、命令はいっさいきかない。だが、ベンジャミンの元のマスターはすでに死んでしまっているから、瑛獣錬金術師が契約の儀を行うことでイアンはベンジャミンと契約を結ぶことができるのだ。幸いラファルツ工房には優秀な瑛獣錬金術師が複数いる。さすがにハイルスコウ博士に頼むのははばかられたので、その右腕ルシエト・クルツにお願いすることにした。
 無事契約が終わった後、ベンジャミンはイアンに抱きついてきた。
「マスター、本当にありがとうです。大好き!」
大好きと言われ、さすがのイアンもとまどってしまった。軍にいたとき、イアン自身ルージョンを支給されていたが、このように感情を表すことはなかったからである。しかし、これがベンジャミンの個性なのだろうと思い、さほど気にはしなかった。
 二人で街まで出かけて、衣類や生活に必要なものを買いそろえた。それから風呂にいっしょに入って汚れをごしごし洗い落としてやり、新品の服に着替えさせると、ベンジャミンはこざっぱりとした、ちょっと内気そうな少年という感じになった。すっかりやせてしまっているので、これからたくさん食べて栄養をとるしかないが、昨日出会ったときとは別人のように明るい表情になっていた。

 イアンがルージョンと本契約を交わしたという噂は工房中にあっという間に広まった。まず最初に見に来たのはフェル・テルミンである。
「やっほー」
フェルは好奇心丸出しで、イアンの部屋までやってきた。
「あら、かわいい子じゃない」
フェルはベンジャミンのことをぎゅーっと抱きしめた。ベンジャミンはびっくりして本来の姿である兎の姿に戻ってしまった。フェルの腕の中に、まん丸い青い目にちょっぴりやせた茶色い兎がちょこんと乗っている。
「あらら…、でもこっちもかわいいよね」
フェルがほおずりするので、ベンジャミンはびっくりして身を縮こめた。
「フェル姉、ベンはペットじゃないんだからね!」
イアンが言うと、フェルは笑った。
「ごめんごめん。でもさ、これでイアンもテストパイロットになれるだろ」
そう言われて、イアンは初めてそのことに気が付いた。
「あ、本当だ」
「あのねー、そうじゃなくて何のためにルージョンと本契約するのさー」
と突っ込むフェル。その腕の中でベンジャミンが言う。
「ぼく、マスターのお手伝いなんでも一生懸命します!だってマスターはぼくのために9000ECも払ってくれたんですから」
それを聞いてフェルがひっくり返りそうになった。
「9000EC!?あんた、本当に金持ちのボンボンなんだねー」
「あわわ…ベンジャミン!それは内緒だってば!」
イアンは秘密にしておきたかったことをばらされ真っ赤になった。ベンジャミンはさらに身を縮める。
「ごめんなさい、ごめんなさい!!!」
それを見ていたフェルが言う。
「この子、なんか人間くさくない?」
「うーん、やっぱりそう思う?軍事用のルージョンじゃないからなのかなあ」
 どうやらベンジャミンの元マスターは、ヘックランドから来た瑛獣錬金術師だったようだ。なぜ鉱山都市ラファルツまでやってきたかは定かではないが、借金を背負って異国の地で病死したらしい。
「ま、イアンといいコンビになるよ、うん」
フェルは笑いながら、ベンジャミンの頭をなで、イアンの肩をぽんと叩くと、その場を立ち去っていった。
 次にやってきたのはディノだった。彼のルージョン、サウラを連れている。サウラは先輩らしく、ベンジャミンにいろいろ工房のことを説明している。
「とりあえず、無事に契約できたようだな」
ディノは言う。イアンは何度も頭を下げた。
「ホントにありがとう、叔父さんのおかげだよ」
「礼はいいから。二人で開発がんばるんだな。それと…早く質屋から取り戻せよ」
「うん!」

 その夜、イアンはベンジャミンにいろいろなことを語った。小さい頃ギガンテックになりたかったこと。ディノのつてで軍に入って犬のルージョンを支給され操縦の仕方を習ったこと。しかし、軍では機甲兵の乗り方がうまくなればなるほど人殺しをしていくことになるのだということにある日気が付いてしまい、逃げ出すように除隊したこと。だけど、結局機甲兵が大好きでここラファルツの工房で働いていること、など。
 別にベンジャミンに何かを言ってもらいたかったわけではない。ただ、これからどちらかが死ぬまでいっしょにいるとしたら、知ってもらった方がいいような気がしたのだ。ベンジャミンも時折相づちを打ちつつイアンの話を黙って聞いているだけだったが、最後にそっとイアンの手を握ってきた。その小さな手はルージョンなので決して温かくはない。だけど、イアンはなんだか心が通じ合ったような気がして嬉しかった。
 「明日からはばりばり稼がなくちゃ! 二人でがんばろう!」
イアンは寝る前にベンジャミンに明るく言った。ベンジャミンは「はい、マスター」とにっこりうなずいた。それを見たイアンは心の中で、
(ボクはもっと強くならなくちゃいけない。守るべきものが増えたんだから!)
と固く誓ったのである。

- The End -


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